5月12日(金) 5月19日(金) 5月26日(金) 6月2日(金) 6月9日(金) 読了
八瀬の叡山結界のこと
奈良の両門の争いについての意見書
大成殿参拝の次第を考えること
京都へのお使いを命ぜられ、出立のこと
御即位式の拝観
天皇元服の儀式拝観、琉球使節に伏見で会見
5月5日(金)
中
意見書を差し上げる
大銭廃止を仰せ出されたこと
「神祖法意解」一冊を献上
生類憐みの停止と綱吉公の葬儀
御石棺の銘のこと
親王・皇女のお取扱いについての意見書
国家財政についての意見書
大赦についての意見書
大御台所の御他界
罪人を許されたこと
一万石以上の人びとがみな叙爵される
旗本の子息を召しだされたこと
明卿お目見得のこと
儀式の日に陪観を許されること
兵器庫の武器についての意見書
家継誕生
世良田長楽寺所蔵の新田氏系図
御台所従三位をさずかる
五百石の土地を賜る
芝口御門のこと
「聘事後議」、「応接事議」を奉る
新令の頒布と、「新令句解」のこと
荻原近江守の謹責
瑞兆ということ
俳優考を奉ったこと
家康公の実録のこと
奈良の両門主が争われたこと
4月28日(金)
甲府に出仕するきっかけ
お目どおり後はじめて進講する
綱豊侯にお目どおり
詩經の進講
「書経」と「通鑑網目」の進講
「春秋」の進講
「藩翰譜」を作り進講したこと
家宣公の好学
和漢の書目をたてまつる
書物を下賜される
下賜された金で鎧を作る
木下先生の死
御講書始め
日講のこと
特別の恩寵
元禄十六年の大地震
家宣公、将軍のお世継ぎとなる
はじめて西ノ丸に参上する
西ノ丸で進講をを始める
宅地と黄金を下される
富士山噴火
当十の大銭を鋳造する
生類憐みの制
綱吉公薨去
4月21日(金)
金と色を慎むこと
幼時のこと
三歳で字を知る
六歳で詩を暗誦する
学者には利根・気根・黄根の三こんが不可欠
利根は持っている、気根は分からない、黄根は心配
日課の習字
剣術を学ぶ
学問に志す
初めて詩を作る
初めて木下順庵に会う
土屋の殿の咎めを受ける
土屋家を去ったいきさつ、出仕禁止のこと
富商の養子となるのを辞退する
医者になれtすすめられて断る
富商の婿となるのを辞退する
堀田家への進退
明卿の誕生
市中で私塾を開く
加賀への仕官を友人に譲る
4月14日(金)
上
祖父母のこと
父が土屋家に仕える
父の行状
蘆沢某のこと
加藤某のこと
父の日常
高滝某のこと
越前某のこと
軍治正信のこと
神戸家のこと
母と姉妹
父が土屋家を去る
母の死
堀田正俊への出仕
父の死
4月7日(金)
上巻は白石の祖父母や両親の伝記、白石の生い立ちから甲府家出仕までの出来事
中巻と下巻は幕府関係の出来事が中心
徳川家宣や徳川家継の政治的業績がまとめられている
白石が編纂した諸大名家の系譜諸である藩翰譜作成のいきさつ
序
父親は母親に「ご病気の間、背なかを向けて寝たままで、一言もおしゃいまいせんでしたね」と尋ねられると「今まで人に苦しげな顔を見せたことがないのに、いつもと違った様子を見せるのはよろしくない。世の中の人が熱にうなされて、取り止めもないことを言うことが多いのを見ていると、何も言わぬに越したことはない」と答えた
これらのことで日常のことは推測できよう
お尋ねしてみたいと思うことも言い出しかねて暮らすうちに亡くなられた。父親や祖父のことが詳しく分からないのは悔しい、この悔しさから私の子どもたちもまた私と同じ様になると悟った
心に思い出すその折その折に過ぎ去ったことを書き留めておく
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