3月13日(月) 3月20日(月) 読了
昔から「正法眼蔵」のなかでもっとも尊重され、よく読まれてきた
一口でいえば、真理の実現とでもいえようか
公案であるから、真理の原形、
あるいはその在り方がどのように現われねばならぬか、を述べたもの
道元仏教の理論的世界観を述べたもの
全存在の根源は絶対無・・・全く何もない、何物にも関わらない
花は惜しまれながら散り、草は嫌がれながら茂る
・・・始めrて生死解脱という根本課題が生まれる
悟るということが究極の目標であり人類の悲願
真理は全宇宙の側から自分に顕現する・・このとき自己は忘れ去られる
水に月がやどる譬え
月という真理がわが心の水にぽっかりと浮かぶ
月もぬれず水もやぶれずというおもむき
悟りの月は心の水をさまたげず
心の水の中の一滴の水にも悟りの光が映じている
悟れば全存在が分かる訳ではない、眼の届くところが見えるだけである
気づかない世界や、世界の様相がどれだけあるかも知れない
魚が水の中を泳ぎ、鳥が空を飛ぶことの譬え
魚と鳥にとって、水と空は行けども行けども果てしない
魚と鳥は、水と空から離れればたちどころに死ぬ
悟りの世界とは
大にあらず小にあらず、自にあらず他にあらず
さきよりあるにあらず、いま現ずるにあらず
かくのごとくあるなり
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