正法眼蔵 13_仏教

4月17日(月) 4月24日(月) 読了
  解説文を要約するのみ、難解で理解できない

  教外別伝(教えのほかに別に伝えること)について
    人は、正伝した一心を教外列伝という
      釈迦牟尼は弟子の摩訶迦葉に正伝し、今日まで受け継がれてきた
      教えというものは相手の機根に応ずるための論議に過ぎない

      正伝した一心を教外別伝という

    このような説き方は仏法の正しい姿ではない
      釈尊が正しい仏法でない教を設けるはずがない
      釈尊が設けた正伝の教をいかなる仏租も無視する筈がない

      「仏の教えは正伝することはできない」というのは
      学道の偏った見解である

      正伝とは、自己より自己へ正伝するものであるから、
        正伝の中に自己があるのである
        一心より一心へ正伝するのである
        したがって正伝の中に一心がある

  行仏威儀とは、実践する仏のふるまい、又は仏を実践するふるまい

  三乗・十二分教、順不要について
   三乗
    声聞乗は四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)によって仏道を悟る
    縁覚乗は十二因縁によって究極の涅槃を得ることができる
      無明、行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死
    菩薩乗は六波羅蜜の教・行・証によって究極の悟りを成就する
      人さまへの思いやりを実践する(布施)
      威張らず、見返りを求めず(持戒)
      怒らず(忍辱)
      怠 なま けず(精進)
      心乱れず(禅定)
      愚痴らず(般若)

   十二分教
    素咀羅(sūtra、契経) :教説を直接散文で述べたもの
    祇夜(geya、重頌): 散文の教説の内容を韻文で重説したもの
    和伽羅那(vyākaraṇa、授記): 仏弟子の未来について証言を述べたもの
    伽陀(gāthā、諷誦): 最初から独立して韻文で述べたもの
    憂陀那(udāna、自説): 質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの
    尼陀那(nidāna、因縁): 経や律の由来を述べたもの
    阿婆陀那(avadāna、譬喩): 教説を譬喩で述べたもの
    伊帝曰多伽(ityuktaka、本事): 仏弟子の過去世の行為を述べたもの
    闍多伽(jātaka、本生): 仏の過去世の修行を述べたもの
    毘仏略(vaipulya、方広): 広く深い意味を述べたもの
    阿浮陀達磨(adbhutadharma、未曾有): 仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの
    優婆提舎(upadeśa、論議): 教説を解説したもの


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コメント

“正法眼蔵 13_仏教” への2件のフィードバック

  1. […] 文は難しく、意味が読み取れない    詳しい解説は「日本の名著」を参照       […]

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