3月24日(金) 読了
日本名著には東雅がないので読み込むのに苦労する
中国の「爾雅ジガ」に倣う
国語の名詞を15の部門に分け、語源的な解釈を施す
現代語訳がないと細かすぎて読み取れないので
尾留川方孝の注釈(PDF)を添える 『東雅』での文献利用の傾向
1.「正字通」の利用
・総論
「声成文、謂之音。音発為言、言之成文為詞」
「詩經」序の「情発於声。声成文。謂之音・・・」と比べると
一致する部分は少ない
「正字通」の「声成文謂之音」、「音発為言、言之成文為詞」
文意として一致する
・巻二 地輿チヨ
<本書 見当たらず>
・巻一 天文
「雪」
白石は直接参照した文献名を示すのではなく
直接目にした文献の内容を元にして
最も古い又は最も権威がある署名を示している
2.「釈日本紀」をめぐって
・「私記」
信頼できる国史については「私記」を参考にする
平安時代の初期から中期にかけて書かれた「講義ノート」のこと
「私記」からの引用とされた部分は「日本書紀私記」ではなく
「釈日本紀」からの孫引きが大部分を占める
白石は直接見た書名ではなく、そこに見える信頼できる書名を記す
3.読み方をめぐって
・「釈日本紀」に基づく解釈と読み方
「日本書紀」と500年後の「釈日本紀」、
さらに「私記」を白石は同列に扱いうる時代とみなしている
・読み仮名への信頼
白石は正誤の判断は基本的にせず、
見くらべて目的にかなうものをその都度選び用いている
傍訓について、『釈日本紀』や自注と変わらず、
本文なみに信頼し尊重していたと考えられる
・「仮字づかいへの無関心か無知」と言われている理由
白石の仮名遣いについての考え違いは
地域の違いなどにより、同一の言葉が転化して異なる表現になる
「日本書紀」や「先代旧事本紀」の傍訓を本文と同様に信頼する
という根底にある態度こそが原因である
「日本書紀」、「日本書紀私記」、「釈日本紀」、
さらにはそれらに基づき刊本に付された傍訓について、
それぞれ時代は異なるとは認識しないで、
質的に大きな違いがない一括りにできる時代と考え、
本文と傍訓を同様に信頼したことこそが原因である
コメントを残す