3月6日(月) 読了
漸源仲興大師にたずねた
古仏心とはどういうものでしょうか
世界は崩壊する
どういうわけで世界は崩壊するのでしょうか
どうして我が身がなかろうか、我が身はある (寧無我身)
世界とは、十方がみな仏の世界ということである
仏の世界でないものはいまだかつてないのでる
崩壊のありさまは、この十方すべての世界について究明すべきである
けっして自己について学んではならない
自己について参学しないがゆえに、崩壊するまさにそのときは
一すじ、二すじ、三すじ、四すじ、五すじと崩れて、限りなく崩れていく
その一すじ一すじの崩壊が、そのまま「寧無我身」というのである
我が身は「焉んぞ無からんや」である
今日ただいまを愛惜するために、我が身を古仏心でないものにしてはならない
2月27日(月)
「牆壁瓦礫」について
牆・・・天地をおおうて張り巡らされており
壁・・・千丈・万丈の高さで突っ立っており
瓦・・・一枚・半枚で屋根をおおうており
礫・・・大小さまざまの模様を呈している
このような在り方をしているのは、ただ心だけではない
体もまた同様であり、ないし環境や主体者も同じことである
2月20日(月)
「古仏心」とはなにかと問われて、大証国師は
「かき・かべ・かわら・小石」と答えた
いったいそれは、人が造ったのか、人をして造らしめたのか
造作によるものか、自然によるものか
心があるのか、ないのか
という具合に様々な方面から検討してみる
そうすると、この世でも、あの世でも、たとい天地がひっくりかえっても
「古仏心」は「かき・かべ・かわら・小石」であることに一点の間違いはない
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